内村鑑三の言葉

無教会主義や内村鑑三、キリスト教について

内村鑑三 「日本的キリスト教」

内村鑑三 「日本的キリスト教

大正九年十二月十日 聖書之研究第二百四十五号)

 

日本的キリスト教というは、日本に特別なるキリスト教ではない。

日本的キリスト教とは、日本人が外国の仲人を経ずして、直(じか)に神より受けたるキリスト教である。その何たるかは一目瞭然である。

この意味において、ドイツ的キリスト教がある。英国的キリスト教がある。スコットランドキリスト教がある。米国的キリスト教がある。その他各国のキリスト教がある。

しこうして、またこの意味において、日本的キリスト教がなくてはならない。しかり、すでにあるのである。

「人のうちに霊魂のあるあり、全能者の気息これに聡明(さとり)を与う」とある(ヨブ記三十二章八節)。日本魂が全能者の気息に触れるところに、そのところに日本的キリスト教がある。

このキリスト教は自由である。独立である。独創的である。生産的である。真(まこと)のキリスト教は、すべてかくあらねばならない。

未だかつて他人の信仰によりて救われし人あるなし。しこうして、また他国の宗教によりて救わるる国あるべからずである。米国の宗教も英国の信仰も、よしその善の者たりといえども、日本を救うことはできない。

日本的キリスト教のみ、よく日本と日本人とを救うことができる。