内村鑑三の言葉

無教会主義や内村鑑三、キリスト教について

2016-01-01から1ヶ月間の記事一覧

内村鑑三 「聖書大意」

内村鑑三 「聖書大意」 (一九二六年 十一月 『聖書之研究』) 「なんじのことばは真理(まこと)なり」(ヨハネ伝十七・十七) 「山いまだ生(な)り出でず、地と世界とを造りたまわざりし時、永遠より永遠までなんじは神なり」(詩篇九〇・二) 「天地はすた…

内村鑑三 「平凡の道」

内村鑑三 「平凡の道」 (大正十二年一月十日 聖書之研究第二百七十号) 平凡に上等なると下等なるとがある。 下等なる平凡は、凡俗と万事を共にすることである。その中に勇敢なると高貴なることなく、何事も凡俗が為すがごとくに行う。これ、決して誉むべき…

内村鑑三 「伝道成功の秘訣」

内村鑑三 「伝道成功の秘訣」 (大正十二年一月十日 聖書之研究第二百七十号) 伝道成功の秘訣とて別にない。神の御言(みことば)なる聖書を説くことである。そうすれば、伝道の功は必ず挙がる。そうしないでいくら大挙伝道、倍加運動、社会事業と焦るとも…

内村鑑三 「生命」

内村鑑三 「生命」(明治三十八年七月十日『新希望』六十五号 内村鑑三全集第十三巻所収) ヨハネ第一書 第一章ヨハネ伝 第十一章 第二十四節 生命とは何ぞや。歓喜の充実し、活力の充実せる、これなり。生きて活くること、これなり。これに反するものを死と…

内村鑑三 「失望と希望(日本国の先途)」

内村鑑三 「失望と希望(日本国の先途)」 私共に取りましては愛すべき名とては天上天下唯(ただ)二つあるのみであります。 その一つはイエスでありまして、その他の者は日本であります。 これを英語でもうしますればその第一はJesusでありまして、その第二は…

内村鑑三 「万全の策」

内村鑑三 「万全の策」 「神その羽をもって汝を庇い給わん。汝その翼の下に隠れん、その真実は盾なり干なり」 (詩篇第九十一篇四節) 神の命を待てよ、然らば何事も行われん。 身を神に任かせよ、しからばすべての力は汝に加えられん。 汝は神の属(もの)に…

内村鑑三 「寒中の芽」

内村鑑三 「寒中の芽」 一、春 の 枝 に 花 あ り 夏 の 枝 に 葉 あ り 秋 の 枝 に 果 あ り 冬 の 枝 に 慰 め あ り 二、花 散 り て 後 に 葉 落 ち て 後 に 果 失 せ て 後 に 芽 は 枝 に 顕(あら) は る 三、ああ 憂い に 沈 む も の よ ああ不…

内村鑑三 「楽しき生涯 (韻なき紀律なき一片の真情)」

内村鑑三 「楽しき生涯 (韻なき紀律なき一片の真情)」 我の諂(へつら)ふべき人なし 我の組すべき党派なし 我の戴くべき僧侶なし 我の維持すべき爵位なし 我に事ふべきの神あり 我に愛すべきの国あり 我に救ふべきの人あり 我に養ふべきの父母と妻子あり 四…

内村鑑三 『罪と完全』

内村鑑三 『罪と完全』 (昭和四年三月十日 『聖書之研究』三百四十四号) ○ある教会信者に「君には罪の苦悶はないか」と尋ねたらば、彼は左のごとくに答えた。 人間は弱い者である。私は人間である。ゆえに私は弱くある。私が罪を犯すは当然である。 と。こ…

内村鑑三『世に勝つとは何ぞや』

内村鑑三『世に勝つとは何ぞや』 (一九一二年五月『聖書之研究』) 「なんじら世に在りて患難(なやみ)あらん。されど心安かれ。われすでに世に勝てり(ヨハネ伝十六・三十三)。」 世に勝つとは、権力をもって世を威圧することではない。また金銭をもってこ…

内村鑑三 「成功の秘訣」

内村鑑三 「成功の秘訣」 一、自己に頼るべし、他人に頼るべからず。 一、本を固うすべし、然らば事業は自ずから発展すべし。 一、急ぐべからず、自働車のごときもなるべく徐行すべし。 一、成功本位の米国主義に倣うべからず、誠実本位の日本主義に則るべし…

内村鑑三 『夏の午後』

内村鑑三 『夏の午後』 (『教へられし所の確実』) これは炎熱灼(や)くが如き夏の午後、あるふるき友人の訪問を受けて、彼に余の今日の信仰状態をうち明かさんとして述べし所である。 余はキリスト教を信じてより今年で三十六年になる。しかしながら、未…

内村鑑三 「摂理の神」

内村鑑三 「摂理の神」 「汝等公道(おおやけ)を茵蔯(いんちん)に変じ、正義を地に擲(なげす)つる者よ、昴宿及び参宿を造り、死の蔭を変じて朝となし、昼を暗くして夜となし、海の水を呼びて地の面に溢れさする者を求めよ、その名はエホバという。」(ア…

内村鑑三 『贖罪の弁証』

内村鑑三 『贖罪の弁証』 「イエス彼らを召(よ)びていいけるは、異邦の領主はその民を主(つかさど)り大なる者は彼らの上に権を操(と)る。しかれど汝らの中にてはしかすべからず。汝らの中にては大ならんと欲する者は汝らの給仕たるべし。また汝らの中…

内村鑑三 「人生の目的とこれに達する道」

内村鑑三 「人生の目的とこれに達する道」 (一月十日柏木今井館において )明治四十二年二月十日『聖書之研究』百六号「講演」 「ピリポ彼に言いけるは、「主よ我らに父を示し給へ、然らば足れり」。イエス彼に言いけるは、「ピリポよ、我れかく久しく汝らと…

内村鑑三 「人生最大の獲物」

内村鑑三 「人生最大の獲物」 (昭和三年九月十日『聖書之研究』三百三十八号) ○神の恩寵をこの世の幸福、または成功において見るほど間違うたる見方はない。そう見るがゆえに、我らはたびたび神を疑い、彼を見失わんとするのである。 神が人に賜う最大の賜…

内村鑑三 「今日という今日」

内村鑑三 「今日という今日」 昭和四年九月十日『聖書之研究』第三百五十号 ○ 英語にウド・ハブ・ビンという詞(ことば)がある。「あったならば」との意(こと)である。こうあったならば、さぞ幸福であったろうと言いて、過去を顧み、現在を歎(かこ)つ心…

内村鑑三 「活動主義」

内村鑑三 「活動主義」 昭和四年九月十日『聖書之研究』第三百五十号 ○ わが身に不幸が臨みたればとて、これを歎きまた苦慮するは愚の極みである。苦慮したればとて去る者にあらず。また、そのわが身に臨みし理由を知らんと欲するも、神は我らの問いに答え給…