内村鑑三の言葉

無教会主義や内村鑑三、キリスト教について

内村鑑三 「何人をも真似ず」

内村鑑三 「何人をも真似ず」

(大正十四年一月十日 『聖書之研究』第二百九十四号)

 

私は何人をも真似ない。アウガスチンをも、ルーテルをも、ノックスをも、ウェスレーをもムーデーをも、その他、過去現在の何人をも真似ない。

私は私自身である。神は私を特別の目的をもって造り、私を特別の位地に置き、私に特別の仕事をあてがいたもうた。私は神の特別の器であるがゆえに、彼は私を特別の道に導きたもう。

それゆえに、私を欧州人または米国人中のこの人、またはかの人に較(くら)ぶる者は、私を誤表し、また私に関わる神の御計画を誤解する者である。

神は同一に二人の人を造り給わない。人は各自、神の特別の聖手(みて)の業(わざ)である。

私は神に特別に造られたる者であるがゆえに、自由独立の人である。私は、日に日に彼の特別の指導にあずからんとて、彼の聖顔(みかお)を仰ぎまつる。

彼が私のために特別に鑿(きり)開き給いし道に、私をして歩ましめ給わんとて、私を導きたもうその聖手(みて)に、私は縋(すが)りまつる。

私は単独である。しかし、単独でない。神が私と偕(とも)に歩んで下さるからである。