内村鑑三の言葉

無教会主義や内村鑑三、キリスト教について

内村鑑三 「不断の努力」

内村鑑三 「不断の努力」

(大正六年 九月十日 『聖書之研究』第二百六号)

 

 必ずしも大著述をなすに及ばない。小著述にて足る。我はわが見し真理を、明瞭簡単なる文字に綴りて、これを世に示すべきである。

必ずしも大事をなすに及ばない。小事にて充分である。我は神に遣(おく)られて世に来りし以上は、彼の造り給いしこの地球を少しなりとも美(よ)くなして、天父の許(もと)へと還り往くべきである。

 

必ずしも完全なるを要せず、不完全なるもまた可なりである。

我は毎日毎時、わがなしうる最善(ベスト)をなして、患難(なやみ)多きこの世に、少しなりとも慰藉(なぐさめ)と歓喜(よろこび)とを供すべきである。

 

「汝、己れのために大事を求むるなかれ」と預言者エレミヤ、その弟子バルクに訓(おし)えていうた(エレミヤ記 四十五章五節)。

 

大事のみをなさんと欲する者は、ついに何事をもなさず。完全のみを求むる者は、何の得るところなくしておわる。何事をもなさざるは、悪事をなすのである。

実に偉大なるの一面は、小事に勤(いそし)むことである。完全なるの半面は、不完全に堪うることである。

大なれ小なれ、完全なれ不完全なれ、我が手に堪(た)うることは、力を尽くして、これをなすべきである(伝道の書 九章十節)。