内村鑑三の言葉

無教会主義や内村鑑三、キリスト教について

内村鑑三 「文字の排斥」

内村鑑三 「文字の排斥」

(大正六年五月十日 『聖書之研究』第二百二号)

 

今や宗教といえば、哲学というがごとく、思想である。しこうして、思想は文字である。文字は書籍である。ゆえに、修養は主に書を読むことである。伝道は主に書を作ることである。真理は主に書をもって伝えらると思わるるからである。

しかしながら、宗教は思想ではない。霊的生命である。

ゆえに、文字をもって伝えらるるものではない。信仰であり希望であり愛である宗教は、霊的努力をもって伝えらるるものである。

「人、もし彼(神)の聖意(みこころ)に従わんと欲せば、この教えの神より出づるか、また、我れ己れによりて言うなるかを知るべし」とあるがごとしである(ヨハネ伝 七章十一節)

考えてわかるのではない。行ってみてわかるのである。人を離れ、世を棄て、身を忘れてみて、神がわかるのである。

しかるに、今時(いま)の人のごとく、世を棄て得ず、教会を離れ得ずして、万巻の書を読むとも、キリスト教のABCすらわからないのである。