内村鑑三の言葉

無教会主義や内村鑑三、キリスト教について

内村鑑三 「患難の配布」

内村鑑三 「患難の配布」

(大正六年九月十日 『聖書之研究』第二百六号)

 

人々に臨む患難は種々様々である。しこうして各自に臨む患難は、その人にとり必要欠くべからざる患難である。彼を潔め、彼を錬(きた)え、彼をして神の前に立ちて完全なる者と成らしむるために、ぜひとも臨まねばならぬ患難である。

かくのごとくにして、ある人は家庭の患難を要し、ある人は疾病の患難を要し、ある人は失恋の患難を要し、ある人は貧困の患難を要し、ある人は失敗落魄の患難を要するのである。

人各自の悩む疾病にしたがい、特殊の薬を要するがごとくに、各自の欠点を補うために、特殊の患難を要するのである。

患難は前世の報ではない。来世の準備である。

刑罰ではない。恩恵である。

我は我に臨む特殊の患難によりて楽しき神の国に入るべく磨かれ、また飾られ、完成(まっと)うせらるるのである。

しかれば、人は何人も彼に臨みし患難を感謝して受くべきである。これ無意味に彼に臨んだのではない。臨むの必要ありて臨んだのである。我らをしてしばらく苦難を受けし後に、キリストに在る窮(かぎり)なき栄(さかえ)に入らしめんために臨んだのである(ペテロ前書 五章十節)。