内村鑑三の言葉

無教会主義や内村鑑三、キリスト教について

内村鑑三 「活動主義」

内村鑑三 「活動主義」

昭和四年九月十日『聖書之研究』第三百五十号

 

○ わが身に不幸が臨みたればとて、これを歎きまた苦慮するは愚の極みである。苦慮したればとて去る者にあらず。また、そのわが身に臨みし理由を知らんと欲するも、神は我らの問いに答え給わず。

しかず、不幸は不幸としてこれを顧みず、直ちに進んで神と真理と人類のために尽さんには。しかれば、苦慮はおのずから去り、愛は加わりて、歓喜のうちに事業は挙がるべし。

問題が解けて、しかる後に事業に就くのでない。事業に就いて、問題が解けるのである。これが哲学でいうアクチビズムすなわち活動主義である。まことに常識に合(かな)うたる主義であって、哲学者ならざる何人も採用すべき主義である。

人生に不可解の事はいくらでもある。これを解決せんと欲するならば、日もまた足らずである。そして解決の道は他にある。不可解のままに働いて解決するにある。自分の不幸を取り去るの道は、他人の不幸を取り去らんとして努むるにある。

国家のためを思う時に、自分の憂苦は忘れてしまう。幸福でもよい、不幸でもよい、問題は自分でない、神とその子供たちである。彼の栄えが挙がり、彼らの幸福が増せば、それでよいのである。

そして、そう思う時に、自分もいつの間にか、幸福の人と成っているのである。誠に有難い事である。